関川の大したもん蛇祭りへ行こう!大蛇伝説とは?ギネス認定とは?
新潟県と山形県の県境に関川村という村があります。
そこでは、毎年8月の終わりに『大したもん蛇まつり』というお祭りが開催されます。
関川村に伝わる大蛇伝説と祭りの詳細を、この記事でお伝えしていきます。
関川の大したもん蛇祭りへ行こう!
「大したもん蛇祭り」は毎年8月の最後の週末に執り行われます。
2日間の開催で、1日目は花火大会と盆踊りが行われ、2日目にメインイベントである大蛇パレードが開催されます。
花火大会 19:00
大盆踊り大会 20:00
8月27日(日)
大蛇パレード 9:30~12:00ごろ
福まき パレード終了後
JR米坂線「越後下関駅」より徒歩で5分
日本海東北自動車道「荒川胎内IC」より車で15分
花火大会は前夜祭となり、ナイアガラや10号玉連発、スターマインなど400発の花火が打ちあがり、翌日の大蛇パレードを盛り上げます。
祭りの見どころである大蛇ですが、この祭りを語るにはまず村に伝わる伝説を知ることからです。
関川村に伝わる大蛇伝説をご紹介しましょう。
関川村 大蛇伝説とは?
その昔、村には猟師の一家(父母娘)が住んでいました。
ある日狩りに出た父の忠蔵は、大きな大蛇を仕留めます。
それを味噌樽に入れ漬けていたところ、母オリノがそれを見つけ、あまりの良い匂いに全て食べてしまいました。
その後オリノは激しい喉の乾きに襲われ、川に水を飲みにいき、思う存分水を飲みました。
やっと落ち着いた頃、川面に映る自分を見てオリノは驚きました。
それは、たった今食べた大蛇の姿だったのです。
大蛇になってしまったオリノは、山へ逃げ込みました。
忠蔵は娘がオリノを探す泣き声で急いで味噌樽を確認し、全て平らげたオリノの身に何があったかを悟りました。
そして娘と二人、忠蔵はオリノを探す旅に出ました。
それから何年もして、村を1人の盲目の法師が歩いていました。
疲れたので岩に座り、琵琶の演奏を始めました。
一曲弾き終えた時、女の人の声で「もう一曲弾いてほしい」と言われ、驚きながらももう一曲弾いてあげたのでした。
その後、法師が女の人に近くに来て聞かないかと尋ねましたが、女は「私は訳があって大蛇の姿をしているから近くには行けない」と断りました。
法師は驚きながら、その女の身の上話を聞きました。
すると女は「体が大きくなりすぎて住む所がない。
川をせき止め水を溜めそこに住む。
法師様も早く逃げなさい。
ただしこの話は誰にも聞かせてはならない。
聞かせれば法師様の命は無い」と話し、何処かへ行ってしまいました。
女が住みかにしようとする場所には、村があります。
法師は一目散に村へ行き、村長に今あった出来事を聞かせ、そのまま命を引き取りました。
【蛇は鉄を嫌う】と言い残して。
村人達は総出で大蛇を探し出し、その体の周りに鉄の釘を打ち付けました。
それから大蛇は、七日七晩もがき苦しみ死にました。
村人は村を救って命を落とした法師と大蛇の供養の為に、祭りを開催します。
関川村はギネス認定されているの?
また、昭和42年8月28日、関川村を含む羽越地方は大水害により多くの犠牲者を出しました。
そこで大蛇の大きさは、大水害の日に合わせて82.8mというサイズになりました。
この大蛇の大きさは、2001年のギネス認定となっています。
村内54集落があることから、大蛇も54のパーツと1つの頭で出来ています。
各集落が胴体を1つずつ作成しますが、まさに村民総出で作り上げます。
藁や竹などの素材でできているとはいえ、82.8mもあるため重さは約2トンにもなり、大人が約250名で担ぎ村内を練り歩きます。
まるで本当の蛇が歩いているような様子は、まさに圧巻の一言です。
まとめ
大したもん蛇まつりの大蛇パレードは、一度見たら忘れられないインパクトがあります。
役場前駐車場では、とぐろを巻く大蛇の姿を見ることが出来ます。
夏の最後の思い出に、ぜひ関川村へお越しください。